資料 / 上水・水道絵図 / 東京都水道歴史館所蔵の上水樋線図

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東京都水道歴史館には江戸時代後期~明治時代の5種の切絵図タイプの上水樋線図(配管図)が所蔵されている。これらの樋線図は江戸時代後期に流行した江戸切絵図の体裁に準じ、上水の埋設された範囲をいくつかの区域に分け、地図上に樋線(上水の配管)を描いたものである。

樋線図第1種

 5種の樋線図のうち最も古様を示すもので、8点が該当する。表紙・裏表紙は卍繋空押し暗緑灰色の紙表紙で、大きさは一定しない。表紙中央上部及び右上に題箋(だいせん)を貼り、右上題箋には地域名、中央に「〇〇上水樋筋絵図」と墨書する。絵図は表紙の大きさに折りたたまれており、楮紙(ちょし)に墨書及び一部朱書、図には淡彩を施す。全体に短冊状の押紙および付箋による修正が多く施されている。原図の記載に大名屋敷名が確認できることから、製作は江戸末期に遡る可能性が高いが、後世の追記から明治以降も使用されたものと考えられる。

樋線図第2種

 比較的古様を呈し、10点が該当する。表紙・裏表紙は無地の淡黄色の紙表紙で、18×7.6cm前後で揃う。表紙中央上部に題箋(だいせん)を貼り、「(地域名)絵図」と墨書する。玉川上水6枚(第一~第六)、神田上水4枚(上・中・下・下々)があり、玉川上水のものは表紙右に墨書直書きで「第〇(連番)/第〇大区/玉」、神田上水は「〇大区(ないものあり)/神〇(上/中/下/下々)/〇小区(ないものあり)」と記す。絵図は表紙の大きさに折りたたまれており、楮紙(ちょし)に墨書及び一部朱書で、淡彩を施す。大小区の表記があることから明治4年~11年(1871~1878)の制作と考えられる。

樋線図第3種

 27点が該当する。異なる3組のセットから成り、それぞれ表紙に天・地・人の記号が付されている。各組ごとに表紙に十干の文字(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)が割り振られているが、それぞれの掲載範囲は一致しない。天は甲~壬(癸なし)の9枚、地は甲~癸(辛・壬を欠く)の8枚、人は甲~癸の10枚が現存し、それぞれに紙箱が伴う。絵図は楮紙(ちょし)に墨書及び一部朱書で、淡彩を施す。一部に文字の記載のないものが存在する。表紙は無地の橙~にぶい黄橙色の紙表紙で15×9cm前後で揃う。中央上部に題箋(だいせん)を貼り、「(地域名)切絵図」と墨書する。表紙右上の押紙に「天甲」以下を朱書する。箱は表紙同色の紙製で中央に題箋を貼り、子持枠内にそれぞれ「両上水樋線切絵図 天拾折」・「両上水樋線切絵図 地拾葉」・「両上水樋線切絵図 地拾折」の表題を墨書する。制作年代は、明治政府の機関の記載があり、明治8年(1875)の付箋の貼られた資料(天癸)があることからこれ以前、明治初年のものと考えられる。

樋線図第4種

 12点が該当する。表紙に十二支の文字(子丑寅・・・)が割り振られている。絵図は楮紙(ちょし)に墨書及び一部朱書で、淡彩を施す。表紙は無地のにぶい褐色~褐色の紙表紙で15×9.1cm前後。中央上部に題箋(だいせん)を貼り、「○○(※神田/玉川)(地域名)」と墨書する。表紙右上の押紙に「子」以下を朱書する。玉川上水6枚、神田上水4枚、両上水を含むもの2枚が存在する。絵図内に明治政府の機関の記載があることから、明治初年のものと考えられる。

樋線図第5種

 99点が該当するが、第1種~第4種とは異なり、地域分けは旧十五区ごとに細分され、区全域の樋線を記したものが混じる。上水の敷設された範囲の樋線とともに敷地内の井戸の配置を記す。絵図は楮紙(ちょし)に墨書及び朱書で、淡彩を施すものもあるが、全体に彩色は少なく白描風である。鉛筆等による追記が多く見られる。表紙は個別の図面は明黄褐色無地の紙表紙を中心に明赤褐色のものも混じるが、小石川区のもののみは黄色である。区内全域図は赤褐色の檀紙風のものが主体である。一部改装されて異なるものが混じる。中央上部及び右上に題箋を貼り、表記はまちまちだが「(区名)(地域名)上水樋線之図」と墨書するものが多い。小石川区のものは題箋が白紙で、表紙右上に直書きで「小石川区(地域名)」を墨書する。小石川区のものを除き、題箋下部から表紙に掛けて小判形の「水道改良事務所」朱印を割印する。市中を記した樋線図の中では最も新しく、水道改良事務所成立(明治24・1891)以降の神田・玉川上水最末期の状況を示すものと考えられる。