資料 / 古文書・古記録

上水記

上水記 上水記

 『上水記』は、江戸時代後期の寛政3年(1791)、幕府普請奉行(ふしんぶぎょう)石野広通(いしのひろみち・1718~1800)によって著わされた江戸上水の幕府公式記録である。10巻10冊箱入りで、箱書によれば写本3部が制作され、1部は11代将軍家斉に献上、1部は老中松平定信に進呈、残る1部が「上水方のみちしるべ」として普請奉行上水方で保管されていた。

 東京都水道局所蔵のものは、3部のうち上水方に残された一本である。もともと10巻10冊が桐箱に収められていたが、現状では第10巻が重複し(乾・坤の2冊)、箱も明治時代に外箱が追加されて二重箱となっている。各冊子にはさらに青色の表紙(元表紙は白色で内側に残る)が追加されているが、これは外箱とともに明治時代に改装されたものらしい。重複する第10巻の2冊は記載内容は同一であるが、坤巻は装幀が異なり、元表紙に「御金方控」と墨書されていることから、完成後に幕府勘定方御金方で書写したものが、オリジナル(乾巻)と共に残されたものらしい。

 『上水記』の当初の写本としては、将軍に献上されたものが国立公文書館内閣文庫に残されているが、第3巻・第10巻の2冊を欠き、さらに共箱も失われている。老中への進呈本は所在不明であり、存在したとされる稿本(こうほん・下書)も発見されていないため、本資料は唯一完存するものとしてきわめて貴重なものである。このことから、昭和58年(1983)に東京都指定有形文化財(古文書)に指定された。

 内容は、江戸の上水の中核である玉川・神田上水の概説から始まり(第1巻)、第2巻および第4巻~第7巻では両上水の樋線(配管)を彩色で描いている。第2巻は大判の絵図となっており、縦135.5cm、横514cmの紙面に玉川上水の取水口である羽村堰を描いている。第3巻は玉川上水の羽村堰と上水堀に関する諸情報を記す。第8巻~第10巻では、他の上水も含めた関連文書や沿線の高札の文面、水銀(みずぎん・水道料金)の徴収方法など、実務的な内容も記しており、当時の江戸上水の全容を知りうる貴重な記録となっている。

 著者石野広通は、幕府の旗本(300石)で納戸頭(なんどがしら)・佐渡奉行等を歴任したのち、幕府の土木部門を所管する要職である普請奉行となった。当時普請奉行は上水方と道方を兼任していたため、現在の東京都建設局長兼水道局長という立場であった。石野広通は佐渡奉行在任中に地誌『佐渡事略』を編さんするなど文にたけた人物であり、当代きっての武家歌人でもあった。京都の公卿冷泉為村(れいぜいためむら)の門人であり、その編さんした『霞関集』(かかんしゅう)は江戸冷泉派の代表的私撰集として広く知られている。

羽村日誌

羽村日誌

 東京都水道歴史館には、明治から大正時代にかけて羽村取水堰の日々の管理や業務記録などを綴った日誌、「羽村日誌」が残されている。羽村取水堰は、多摩川の水を取水して玉川上水に導水するための施設で、玉川上水開削時に造られたと伝わっている。

 詳しい起源は分かっていないが、羽村には江戸時代から堰の維持と取水管理を行う役所が設置されていた。取水口近くに水番人が水番屋を構えて堰の管理などを行い、江戸後期には羽村陣屋も置かれ、江戸から派遣された普請奉行(幕府の土木部門で上水を所管)の役人が、交代制で出張していた。明治以降も陣屋や水番屋、その跡地には堰を管理する役所が置かれ、現在では東京都水道局の羽村取水管理事務所に引き継がれている。

 当館所蔵の日誌は、明治2年~5年、明治13年~大正13年(明治14年、32年、41年、42年欠)のものである。多摩川の水は江戸時代の玉川上水開削以来、江戸・東京を支える貴重な水源であり、堰の管理は重要な任務であった。取水に関する情報や業務記録は毎日書き綴られた。こうした日々の管理記録に加え、東京からもたらされる情報や多摩地域の様子を伝える内容も記されている。

羽村文書

羽村文書

 東京都水道歴史館には、江戸後期から明治時代の羽村取水堰の工事や管理記録を綴った文書、「羽村文書」が16冊残されている。江戸後期から明治時代の堰の工事に関わる文書が9冊、手紙をまとめたものが3冊、その他諸記録類が4冊である。

 江戸時代以来、羽村取水堰の近くには羽村陣屋や水番屋、その跡地には堰を管理する役所が設置され、現在では東京都水道局の羽村取水管理事務所に引き継がれている。多摩川の水は江戸時代の玉川上水開削以来、江戸・東京を支える貴重な水源であり、堰の管理は重要な任務であった。

 堰の修復や改良工事に関わる文書は、風水害による堰の修復工事や堰・上水路の改良工事に関するものが綴られている。この中には江戸後期の羽村陣屋による堰の修復を記録した文書が2冊含まれている。手紙をまとめたものは、「文通留」・「往復録」と題され、主に東京の役所と羽村の役所との間に交わされたもので、取水状況や堰や玉川上水の工事の進捗状況などが記されている。多摩川の増水や堰の異変は直ちに東京に知らされた。これら文書の他に、堰の工事の仕様書や清算書、給金、嘆願書などが雑多に綴られた文書が残されている。