仁科記 写
資料コード | 03OD0623300200 |
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タイトル | 仁科記 写 |
分野 | 歴史 |
場所(市町村名) | 安曇郡 |
制作年(西暦) | |
制作年(和暦) | |
時代 | |
制作者 | |
制作者(ヨミ) | |
大きさ | |
資料解説 | 「仁科記 東仙道筑摩安曇郡箭原庄仁科国司之次第 田村将軍当国鬼神退治ノ事」と冒頭にあるが筆者は不明である。以下、年代を追って記述、まず景行天皇12年(西暦83)までこの里は海であった。51代平城天皇の大同元年(758)鬼退治があり以後3年間百姓は年貢を納めず千代万々歳と悦び、此の時からこの地を仁科というようになった。弘仁元年(810)押久保村・小谷村などに諏訪大明神が勧請された。天暦元年(947)戸隠鬼退治。「天正10年4月4日織田信長人数にて仁科落城也」で締めくくる。 続いて「仁科安部貞任景図之巻」で仁科神明宮について、宮本神明は応神天皇の御代に伊勢外宮が信濃国を守るために松川神明沢へお飛びなされ、天武天皇の御代に宮本へ伊勢社を建立した。これが仁科神明宮である。以上のようなことが、読みにくい文字でつづられている。 |
二次利用条件 | |
コピーライト | 長野県立歴史館 |
施設名 | 長野県立歴史館 |