[平林氏関係史料集] 写

資料コード 03OD0621500500
タイトル [平林氏関係史料集] 写
分野 歴史
場所(市町村名) 更級郡
制作年(西暦)
制作年(和暦)
時代
制作者
制作者(ヨミ)
大きさ
資料解説 ここには、更級郡の平林氏に関する多くの史料が集められ、36枚にわたり記載される。最初に、「更級郡山平林之内、上尾村(長野市信更町)平左衛門殿御城跡は本丸2丁四方、二の丸20間程御座候(下略)」などの平林氏の居城や、菩提寺や鎮守社や、上杉景勝の会津移封にともなう奥州移住などをメモ風に綴った一連の文章がある。続いて、「書札」という標題のついた文章がつづく。その記述は多岐にわたる。平林氏の信州上尾にあるときの出城の広狭の次第、石高の推移、家紋、鎮守の諏訪祭礼日、菩提所である観音寺、その家来筋(けらいすじ)、家伝来の脇差・茶壷の有無などについての記載がある。続いて、文化元年(1804)5月の日付のある平林蔵人正賀の「先祖書」とも言うべき書付が延々と続く。それによると、「海野小太郎幸恒の3男は、佐久郡望月(佐久市望月)の邑に住し望月三郎重俊と号す、その2男布施小四郎重則、更級郡布施の庄に住す、是より布施を以て氏とす。重則十余代の後、布施冠者直則山布施の城に住す。岡田村において梵宮一宇を開基し長禅寺と号した。法名長禅寺殿施庵宗布大禅定門直頼の孫平林蔵人佑正頼、始め有(う)旅(たび)の館に住したが、後に上尾の館に移った。法名称岸源長大居士正頼の孫平林藤右衛門尉、後肥後守正家山平林上尾の館に住して、永禄9年(1566)10月武田晴信が牧嶋の城を経始して馬場美濃守信房を城代とし、是より牧の嶋に移る。永禄12年北条と晴信合戦の砌、正家豆州三島郡(静岡県)釜之壇で戦死した。嫡子平林蔵人佑正恒、天正3年(1575)5月長禅寺を再興し、玄峰院と改称した。三体の位牌・俗名は略記する。このあと、平林左衛門尉正直の系譜の略歴などが書かれるが、省略する。
二次利用条件
コピーライト 長野県立歴史館
施設名 長野県立歴史館