徳川家臣による慶喜助命歎願外写

資料コード 02OD5070110000
タイトル 徳川家臣による慶喜助命歎願外写
分野 歴史
場所(市町村名)
制作年(西暦)
制作年(和暦)
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制作者(ヨミ)
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資料解説 最後の将軍徳川慶喜助命嘆願の下書き、筆者は、三河以来の旧臣年少者、「微臣○○謹て言上候」と名を伏せている。「慶喜不行届一時の過失によって宸襟を御悩ませした」「伏見鳥羽で先供の者戦争に及んだ過失により征討を仰せ出された」「去年10月政権御返し」「なにとぞ天地包含の大恩をもって今般の過失お許し下し置かれ候様懇願候」という。徳川慶喜は水戸斉昭の子、一ツ橋家を継ぎ、将軍家茂の後見役から慶応2(1866)年家茂の死により8月徳川宗家を継ぎ、12月に将軍となる。慶応3年10月14日大政奉還を上奏、翌日勅許。12月12日慶喜大阪城に入る。4年1月3日鳥羽伏見の戦いで敗れ、1月8日慶喜大阪を出て江戸へ逃げ帰る。2月寛永寺に閉居謹慎、4月11日江戸開城の時、死一等を減じられ、慶喜は水戸に閉居、7月慶喜は水戸から駿府に移る、明治2年9月謹慎は解かれたが引き続き同所に隠棲した。
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コピーライト 県立長野図書館
施設名 県立長野図書館