(熊倉新田夫遣不勤出人)
資料コード | 02OD5020410100 |
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タイトル | (熊倉新田夫遣不勤出人) |
分野 | 歴史 |
場所(市町村名) | |
制作年(西暦) | 1708 |
制作年(和暦) | 宝永5年 |
時代 | 江戸 |
制作者 | |
制作者(ヨミ) | |
大きさ | |
資料解説 | 熊倉新田は、私の親が開いて、毎年百姓1軒に3人ずつが作手伝いにくる例である。同様に二の倉新田は2人ずつ、大久保・赤渋は円太郎の祖父が開発して3人ずつ、それぞれ開発者の家を手伝うのが例である。ところが宝永4年(1754)5月熊倉新田の長三郎に頼んだところ、「そこもとへ遣わす人足はいない」という。そこで年寄・組頭から上様へ吟味をお願いして、人足は来ることになったが当日になると来なかった。長三郎の言い分は、「惣百姓に言いつけたが行かない。拙者の了見ではどうにもならない」という返事である。「熊倉新田は4年以前よりわがままをいって迷惑しているので、なにとぞ惣百姓を呼び出し、前々通りに仰せ付けください」というものである。柏原村役人から福田清兵衛・小野里十助(飯山藩か)へ出した訴状である。「宝永5年7月17日これを書く」とある。この文章は下書きで、なん個所か挿入語句がある。この訴状は出されたが、取り上げられなかったらしい。 |
請求記号 | |
出版地 | |
出版者 | |
発行年月日 | |
ページ数 | |
著作権者別称 | |
著作権期限 | |
二次利用条件 | |
コピーライト | 県立長野図書館 |
施設名 | 県立長野図書館 |