信州善光寺境内全図

資料コード 02MP0103518254
タイトル 信州善光寺境内全図
分野 歴史 習俗 建造物
場所(市町村名) 長野市
制作年(西暦) 1900
制作年(和暦) 明治33年
時代 明治
制作者 青沼 吉治郎/著
制作者(ヨミ) アオヌマ キチジロウ
大きさ 39×54
資料解説 明治33年(1900)当時の善光寺境内の様子を描いたものである。明治33年4月発行。右下部には御本堂・山門・二王門・経蔵の大きさが記され、四門も東(定額山善光寺)・西(不捨山浄土寺)・南(南命山無量嘉寺)・北(北空山雲上寺)と載っている。ここで絵図には描かれているものの、二王門の部分が空白となっているのは明治24年の火災で焼失しているからである。また、善光寺如来については「日本に渡ってきたのは欽明天皇13年(552年)10月13日で、本堂の建立は皇極天皇の勅願であった」と記されている。他にも「境内古跡之略」として、駒返橋や釈迦涅槃像など15カ所の説明がある。善光寺を管理している2宗派が善光寺別当大勧進・善光寺職務大本願と記されており、両方の院坊を衆徒(天台宗)19院・妻戸(時宗。かつて天台宗・浄土宗と共に善光寺を管理していた。後に天台宗となる。その名残で今では、この5つの坊は院となって浄土宗の宿坊の固まりの中に挟まって建っている)5坊・中衆(浄土宗)14坊に分けて記載している。明治4年に善光寺境内に常設店を造ってもよいことになったため仲見世が発展。江戸時代の境内の様子と比べても、この絵図作成当時には多くのお店が並んでいたことがわかる。そのため、仲見世によって出来上がった道に元善町西通りや元善町東通りなどといった名前も付けられるようになった。明治7年(1874年)にできた「元善町」の記載もされており、ほぼ現代と変わらない様子である。描かれているそれぞれの建物なども現在とさほど変わってはいないが、六地蔵がそれまでは大仏の隣にあったのに対し、大勧進の前に移動していることや、今まで大勧進の前にあった手洗場が現在と同じ位置に移っていたり、江戸時代後期の境内の様子とは変わってきている。
請求記号 N181/172/
出版地 安茂里村
出版者 青沼 吉治郎
発行年月日 1900
ページ数
著作権者別称
著作権期限
二次利用条件
コピーライト 県立長野図書館
施設名 県立長野図書館