信濃国善光寺略絵図

資料コード 02MP0101504884
タイトル 信濃国善光寺略絵図
分野 歴史 習俗
場所(市町村名) 長野市
制作年(西暦)
制作年(和暦) 江戸末期
時代 江戸末期
制作者 不明
制作者(ヨミ)
大きさ 39×58
資料解説 江戸時代後期の善光寺境内の様子を描いたものである。御免御絵図板元大峯堂、長谷屋久左衛門。左上部には「如来日本エ御渡ハ人皇三十代欽明帝十三壬申年十月十三日 本堂建立之初ハ人皇三十六代皇極帝之勅願也 一山天台宗四十六坊(善光寺如来が日本に渡ってきたのは欽明天皇13年(552年)10月13日で、本堂の建立は皇極天皇の勅願であった。善光寺には天台宗の院が46ある)」と記されている。ここでいう“一山天台宗四十六坊”とは、現在善光寺を管理している2宗派の天台宗と浄土宗の院坊の数のこと。当時、江戸時代の政策で善光寺を管理していた天台宗・浄土宗・時宗の3派は天台宗1つに改めさせられたことがあり、院坊も1つの宗派としてまとめられてしまっていたため、このような記され方をしている。右下部には本堂・三門・二王門・経蔵・舗石(道路舗装の石)の大きさが記され、左上部には四門も東(定額山善光寺)・西(不捨山浄土寺)・南(南命山無量嘉寺)・北(北空山雲上寺)と載っている。描かれているそれぞれの建物などは現在とさほど変わってはいないが、六地蔵と大仏の位置・手洗場の位置が今とは異なる。また、本堂がこの絵図の場所に移ったのが宝永4年(1707年)となるため、それまで本堂のあった場所(仁王門の左上あたり)がまだ空き地となっているのも特徴である。右上部には善光寺地震(1847年)の供養塔である地震横死塚が出来上がっていることから推測するに、江戸時代後期の1848年2月(地震塚設立年月)以降の発行だと考えられる。
請求記号 N181/11/
出版地 善光寺町
出版者 長谷屋久左衛門
発行年月日 江戸末期
ページ数
著作権者別称
著作権期限
二次利用条件
コピーライト 県立長野図書館
施設名 県立長野図書館