随意録 巻1

資料コード 02BK0104072012
タイトル 随意録 巻1
分野 歴史 習俗
場所(市町村名) 長野市
制作年(西暦) 1829
制作年(和暦) 文政12年
時代 江戸
制作者 冢田 大峯/著
制作者(ヨミ) ツカダ タイホウ
大きさ 26
資料解説 塚田 虎(1745~1832)は、旭嶺の4男で水内郡長野村桜小路(長野市桜枝町)に生まれた。通称は多門、名は虎、号は大峰。16歳の宝暦10年(1760)、江戸へ遊学した。国学を加茂真淵に学んだが、儒学には常師がいなかった。37歳の天明元年(1781)、尾張藩儒細井平州の推薦で、藩主徳川宗睦の侍講となり、67歳の文化8年(1811)には、名古屋へ赴任し、やがて藩校明倫堂の督学(校長)となった。松平定信の寛政異学の禁(1790)に反対したことは有名である。著書は50余種200余冊で、その中では『塚注六記』・『滑川談』・『塚註家語』などが著名である(塚田孝助/著『塚田家の系譜』ツカダ鞄店刊参照)。  この『随意録』は全8巻からなり、大峯85歳の文政12年(1829)の出版である。幾多の著作を著し、人生の労苦を積み重ねて、見聞を広げてきた最晩年の随筆集でもある。  巻一の序文に、「亡兄敬伯、かって書の出版計画があり、序までつけたが、不幸不治の病にかかって短命におわり、その志を果たしえなかった。その志を継いで」の文言がある。本文は、最初に「凡そ耳目の見聞する所は、思慮の及ぶ所であり、耳目の見聞しないところは、ないことを強いて言い張ることにつながる」と主張する。また、「武田信玄、父を他方に追放し、嫡男を殺めて、庶子を立てる。その無道ぶりは顕著である。しかし、世人は彼を良将だとする。良将の行い、あにこの如くならんや」として苦言を呈する。「寛政10年夏(1798)、鯨が大量に品川の海にやってきて、都下の子女が殺到している。先生も見たらどうかの勧めに、私も見に行きましょう」というような心温まる記事もある。このように、古今東西の事物にふれながらの随筆であるが、異国の事象は、当時の日本を反映して中国及び朝鮮に限定される。
巻号 巻1
請求記号 N049/9/1
出版地 尾張
出版者 東壁堂
発行年月日 1829
ページ数 2,46丁
著作権者別称 塚田,虎,多門,冢田虎,雄風館塾,塚田大峰,冢田大峰,冢田多門,塚田虎,塚田大峯,叔貔
著作権期限 1832
二次利用条件
コピーライト 県立長野図書館
施設名 県立長野図書館